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    みんな集まれ! ネットワークが世界を動かす

    • 2011.04.12 Tuesday
    • 23:09

    現代生活のあらゆる場面で、人々の集団行動の才能や欲求は、集団管理の複雑性からくる制度構造によって制限されてきた。今まで、皆が望んだすべての組織が誕生したわけではなく。成立が可能な組織だけが生まれてきた。しかし現在では、かつて無報酬、無管理の組織にあった行動の限界はなくなった。自発的に集合した組織につきまとっていた共同作業の困難さというものが減少し、集団が金銭的な動機や管理・監督なしに成し遂げられることが、数・種類とともに増加している。現在の変化を一言で言うなら、集団行動の際に立ちはだかっていた壁が崩れ、我々は自由に新たな組織化の方法を試し、何かに挑戦することが可能になったということだ。

    我々が公共の世界について語る時、愛に話が及ぶことは少ない。愛は感傷的でプライベートなものだからだ。しかし、この歴史の転換期に、愛というものは感傷的でもプライベートでもなくなった。愛には半減期もあれば、及ぶ範囲も限られる。今まで我々にとって、そのどちらも小さいものだった。我々は人々を愛するが、愛の寿命と社会的な距離がそれを抑圧してきた。しかし今日の我々は、見知らぬ人のために何かをし、彼らも我々のために何かをしてくれる。こうした行為のためのコストが安くなったため、人々は喜んでそれを行う。そしてその結果はその後もずっと残っていく。ソーシャルツールは愛を再生可能な建築材料にしたのである。人々は互いに気遣い、協力しあい、かっては距離と寿命の縛りのために不可能だったことをやってのける。愛のために大仕事を成し遂げられるのである。

    シェア <共有>からビジネスを生みだす新戦略

    • 2011.04.01 Friday
    • 23:08

    子どもたちには「お友達とおもちゃを仲良く一緒に使いなさい」と口を酸っぱくして言うくせに、当の大人は、「シェア」と言われると何やら構えてしまうのはなぜだろう?道路、公園、学校や、公共スペースは共有しても、その他の部分、たどえば自分の持ち物はゆずらない。社会全体が、「共有」を連想させるコンセプトに懐疑的だ。たとえば、協同組合、共同体、コミューンなど。こうした言葉は、それ自体古臭いうえに、過去の不幸な出来事を思い起こさせる。おそらく、自分らしさやプライバシーや自立性といった、私たちが大切にしている個人の自由が奪われるような気がするからだろう。

    この50年とうもの、子供たちは過剰に個人主義を重んじる社会で育ってきたため、生まれつき備わった自分勝手な性質が、同じように生まれつき持っている分かち合いの精神を覆い隠しても不思議ではない。しかし、この傾向は変わりつつあるようだ。過去数年の間に、コラボレーション革命が静かに、しかし力強く起こりはじめ、文化や政治、経済のシステムの中でそれは勢いを増している。私たちは、資源をシェアし、オープンにすることで、個人の利益とコミュニティ全体の利益のバランスを保ちながら、どうやったら価値を創造できるかを、もう一度学び直している。人は、個人の自主性や自分らしさを失くさずとも力を合わせることができる。

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