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  • 2019.01.26 Saturday

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    バルセロナ―地中海都市の歴史と文化

    • 2010.10.27 Wednesday
    • 22:21

    『都市化の一般理論』(1867)の表紙には、「都市を田舎化し、田舎を都市化せよ」と書かれている。セルダは、拡張計画で、都市的な田園、つまり、都市のにぎわいと田園ののどかさを併せ持つまちを実現しようとした。どこの部屋にも陽射しが降り注ぎ、自然の風が吹き抜けるように、建物の高さは街路の幅20mより低く、四階建て16mに抑えられた。また、一街区四辺のうち二辺のみに沿って建物を建てられることとし、建物の奥行きは14m以下に規制されていた。街区の建物以外の場所はオープンな緑地として残されるように計画されていた。そうすれば、子どもは自ら住まう街区内の屋外で走り回り、お年寄りも街路を渡って出かけていかずに緑の中を散策できる楽園が実現する。

    しかし、現在バルセロナの中心をなす格子状市街地を訪れると、緑豊かな田園都市のかけらもない。七階建ての建物が街区の四辺をがっちり固めている。セルダ拡張計画決定直後からすさまじい投機圧力に耐えきれず、規制緩和をし続けた結果である。

    今日の拡張市街地は、セルダの綿密に計画したかたちとは大きくかけ離れている。とはいえ、この拡張地区が現在もなお、150年の歳月を越えてバルセロナの一等地として立派に機能しつづけている事実は、セルダ都市計画がどれほど先見性を備えていたものであったかを示すなによりもの証ではないだろうか。

    現状、格子状に張り巡らされた街路は、一本おきに一方通行で、大量の車を整然とさばいている。セルダは、スペイン初の蒸気機関車が走るのを見て、「機械を動力とする個別輸送手段」が席巻する都市を見通していた。彼は上流階級が馬車に揺られて移動していた時代に、はやくもマイカーの行き交う都市を予測していたのだ。街区を隅切りして交差点を八角形としているが、これはまだ見ぬ自動車が交差点をスムーズに曲がれるようにするためであった。セルダは、本来の専門である道路設計の技術者としても、卓越した先見性を持っていたのである。

    森林理想郷を求めて―美しく小さなまちへ

    • 2010.10.23 Saturday
    • 01:00

    現代の先進国郡にみられる巨大都市文明の姿は一見、便利で快適であるが、安定した遷移系列のクライマックスに向けて遷移を続けている姿だといえるだろうか。森林の減少、砂漠化の進行など世界は終末のステージに向かって刻々と変化しており、また、地球的レベルでの個体数(人口)の激増は、とどまるところを知らない。しかも一元化されつつある人類の生活様式は、地球的規模での環境悪化を進めている。いま、私たちが向かい進んでいく目的地は、到底、森林化社会と呼べる世界ではあるまい。ほど遠い。

    悲しいことではあるが、私たちは、全体の不利益につながることはわかっていつつも、目先の自分たちだけの利益につながることだけ、つまり利益にためだけに行動しようとしている。このような社会遷移の最前線が巨大都市だろう。生物全体社会の遷移の行く末は、果たしてこのままでいいのだろうか。このまま推移すれば、巨大都市文明は予定調和することなく、必ずや予定破局に向かうことになるのではないか。まさしく、がネット・ハーディンのいう「共有地の悲劇」だ。

    十字軍物語〈1〉

    • 2010.10.20 Wednesday
    • 22:27

    西暦1099年6月7日、十字軍はついに、イェルサレムを遠望する地に到達した。

    諸侯たちが馬から下り、甲冑のたてる金属音の中で、まるで教会の中でも入ったかのように、うやうやしく片ひざをつき、兜を脱いだ。

    騎士たちも馬を降り、それにつづく。

    兵士たちに至っては思わず両ひざをついてしまい、両手をあげて泣き出す者までいた。

    誰もが感動に震え、感涙にむせんでいた。生まれたときからくり返し聴かされてきた聖都イェルサレムが、今や彼らの目の前にある。おりからの夕陽を浴びて、静かにそこにあるのだった。ついに来たのだ、という想いが全員の胸を満たし、それがあふれてくるのを甘美な想いで受けとめていたにちがいない。

    第一次十字軍の戦士たちは、この瞬間、謙虚な巡礼者になりきっていたのである。

    この想いの前では、諸侯と兵士の差はなくなっていた。免罪に釣られて十字軍に参加していた人殺しや盗賊と、初めから神に一生を捧げると誓約した聖職者のちがいもなくなっていた。

    イェルサレムは、この種の想いを人々に感じさせる都市なのである。だが、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教の別なく、同じたぐいの思いを抱かせてしまうところが、一神教間で摩擦を生む原因であるのだった。

    文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (下)

    • 2010.10.07 Thursday
    • 23:15

    人間社会と小さな集団は、いくつかの理由で、破滅的な決断を下してしまうことがある。問題の予見に失敗したり、生じた問題の感知に失敗したり、感知した問題を解決する試みに失敗したり、解決の試みを首尾よく成し遂げることに失敗したりする。

    しかし、社会が常に問題解決に失敗するわけではないことも、また明らかだ。もし本当に失敗続きだったのなら、わたしたちは今ごろ、みんな死に絶えているか、あるいは一万三千年前の石器時代並みの条件下に戻って暮らしているだろう。

    わたしたちは今、接続不能にいたる道を急ぎ足で歩いている。現在の子どもたち、若者たちが生涯を終えるまでのあいだに、世界の環境問題はなんらかの決着を見るだろう。問題は、それが自分たちの選んだ快適な方法による決着か、戦争、大量虐殺、飢餓、疫病、社会の崩壊など、選ばざる不快な方法による決着かということだけだ。これらの苛烈な現象は、人間社会の宿痾のように歴史の中に遍在しているが、その頻度は、環境の劣化、人口増加の圧力、その結果としての貧困や政情不安などの条件下で高くなる。

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