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    新・都市論TOKYO

    • 2008.04.16 Wednesday
    • 23:52

    リスク管理の行き届いた街は、きれいで華やかで安全だ。そのすべてを否定するものではない。ただ、21世紀のブランドニューな街を歩きつづける中で浮かび上がった、ある決定的な違和感はぬぐえない。きれいで華やかで安全で、さらに効率的であることは、それだけで都市の魅力につながるものではない、ということだ。

    歴史をみれば分かる通り、都市とは、先端のテクノロジーに、名もなき人々が生活を紡ぐ時間が重ね合わさった時に、長き寿命を得ることになる。リスク管理最優先の再開発が続く東京は、実はもっとも有効なリスク管理を根本のところで見逃しているのではないか。

    もっとも有効なリスク管理。それは、歴史の継続性とクリエイティビティにほかならない。

    地域再生の経済学―豊かさを問い直す

    • 2008.04.04 Friday
    • 22:47

    人間が人間としての能力を高めるには、人間が生物的存在としても健康でなければならない。しかし、人間が生物的存在として健康であるためには、自然環境が保全されていなければならない。そのため自然環境の保全も、共同作業による生産の前提条件となってきたのである。

    もちろん、人間の絆によって人間を育成し、人間の健康の向上を図るために自然環境を保全しようとすれば、地域社会において営むしかない。というのも、そうした人間の絆の形成には継続的な人間的接触を必要とするからである。

    もっとも、日本のように情報手段が高度化する知識社会では、人間の絆が弱くなると考えられている。情報が動き回るようになると人間が激しく動くようになると想定されているからである。しかし、こうした認識は妥当とはいえない。事実は逆で、情報が動けば、人間は動かなくてすむようになる。というよりも、人間が移動しなくてもよいように、情報を動かすのである。それゆえに、知識社会は自然環境にフレンドリーになる。人間が動き回れば、自然環境を破壊せざるをえないからである。

    情報を動かせば、人間は移動不要になる。遠くまで自動車を動かして買い物に行くこともなく、インターネットで注文して、ユニバーサルサービスの郵便で配達してもらえばよい。人間の移動性が低くなると、継続的な人間的接触は増加して、人間の絆は強まることになる。

    知識社会の社会的インフラストラクチュアは、地域の自発的協力を基盤に、自己決定権を把握した地方自治体が供給する人的投資と自然環境ということになる。しかもそれは同時に社会セーフティ・ネットにもなる。

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