わたしたちをとり巻く社会的な力は、二つの方法で作用するように思われる。ごまかしをする人が自分と同じ社会集団に属しているとき、わたしたちはその人を自分と重ね合わせ、ごまかしが社会的により受け入れられやすくなったと感じる。だがごまかしをする人がよそ者だと、自分の不品行を正当化しにくくなり、その不道徳な人物や、その人が属するほかの(ずっと道徳性の低い)外集団から距離を置きたいという願望から距離から、かえって倫理性を高めるのだ。
より一般的には、わたしたちが自分の行動(ごまかしを含む)の許容範囲をきめるうえで、他人の存在がとても重要だということを、これらの結果は示している。わたしたちは自分と同じ社会集団のだれかが、許容範囲を逸脱した行動をとるのを見ると、それに合わせて自分の道徳的指針を微調整し、彼らの行動を模範としてとり入れるのだろう。その内集団のだれかが、権威のある人物ー親や上司、教師、その他尊敬する人ーであれば、引きずられる可能性はさらに高くなる。
数世代に一度、製造(マニュファクチャリング)の基本的な手段が根本的に変わる。蒸気、電気、標準化、組み立てライン、リーン生産方式、そしていま、それがロボティクスになった。こうした変化が経営手法から生まれる場合もあるが、本当に力強い変化は新しいツールから生まれる。そして、コンピュータほど強力なツールはない。コンピュータは、近代的な工場を動かすものというより、それ自身が工場となる。どんなものにも無限に応用できる汎用ロボットを組み合わせれば、普遍的な「もの作りの装置(メイキング•マシン)」が生まれる。それは、一マイルの敷地にまたがるテスラの工場から、デスクトップまで、どんな規模でも利用できる。それこそがー最先端のテクノロジーが出現するだけでなく、それが民主化されることがー本当の革命なのだ。
「こういう考えで人生を送る人は少なくないのですが、それに『後悔最小化理論』などと名前を付けてしまうオタクはめったにいません。私くらいかもしれませんね」
結論はこうだった。
「1994年の半ばでウォールストリートの会社を辞め、ボーナスをもらいそこねても、80歳になったとき、それを後悔することは絶対にないと思ったのです。そういうことがあったと覚えてさえいないかもしれません。逆に、このインターネットというもの、燃えるような想いを抱いているものに身を投じなかった場合、あのときやっておけばよかったと心から後悔する可能性があると思いました。トライして失敗しても、それを後悔することがないのもわかっていました」 決死すれば、善は急げである。
「問題に遭遇した場合、我々は、あちらかこちらかという考え方を絶対にしません。両方が得られる方法を見つけるのです。できると信じて努力すれば、どのような箱からでも出られる方法を発明できます」
人生を左右する別れ道を選びとき、一番頼りになるのは、いつかは死ぬ身だと知っていることだと私は思います。ほとんどのことがー周囲の期待、プライド、ばつの悪い思いや失敗の恐怖などーそういうものがすべて、死に直面するとどこかに行ってしまい、本当に大事なことだけが残るからです。自分はいつか死ぬという意識があれば、なにかを失うと心配する落とし穴にはまらずにすむのです。人は脆弱なものです。自分の心に従わない理由などありません。
希望は、持つべきか、持たざるべきか、ではありません。困難が連続する社会のなかで生き抜くために、どうしても求めてしまうもの。それが、希望なのです。
挫折と希望は、過去と未来という時間軸上は、正反対に位置するものです。しかしそれらはともに、現在と言葉を通じてつながっています。それが「過去の挫折の意味を自分の言葉で語れる人ほど、未来の希望を語ることができる」という、希望の物語性についての第二の発見なのです。
大切なのは、わたしたちが直面する問題の解決策を求めることであり、これまで気づかなかったことに関心を持ち、より良く、賢く、効率的な方法を探し、改革と革新を推し進めることです。
これは会社にとって、ここに集まっているわたしたち一人ひとりにとって、真の試練です。わたしたちが成功できる理由は、過去にわたしたちが成功してきた理由と同じです。株価もマスコミも関係ありません。わたしたちが信じるもの、わたしたちが守ろうとするものがわたしたちを成功に導くのです。
わたしはこの会社の将来を信じています。なぜなら、皆さんを信じているからです。
規律ある成長。直感と厳格さのバランス。核となる価値を中心としたイノベーション。現状に満足しない。新しい視点を見つける。特効薬を期待しない。泥にまみれ、手を汚す。相手の立場になって聞き、自分を隠さずに気持ちを通じ合わせる。物語を語る。他人に自分を定義させない。実体験を利用してやる気を起こさせる。価値を大切にする(自分の基礎となる)。説明責任を課すときは成功のツールを与える。困難な選択をする(大事なのはどう実行するかである)。危機においては決断力が大切。迅速に動く。試練のうちに真実を見つけ、過ちに教訓を見つける。目にし、耳にし、行うことに責任をもつ。信じる。
ある問題を解決しようとして、最初に考えだした解決策がとても複雑だったとしよう。ほとんどの人はそこで考えるのをやめてしまう。だが、そこでやめずに考えつづけて、ダマネギの皮をむくようにムダなものをそぎ落としていくと、とても洗練されたシンプルな解決策にたどり着くことがよくある。
イノベーションをするときに、ミスをすることがある。最良の手は、すぐにミスを認めて、イノベーションのほかの面をどんどん進めることだ。
シンプルであることは、複雑であることよりもむずかしい。物事をシンプルにするためには、懸命に努力して思考を明確にしなければならないからだ。だが、それだけの価値はある。なぜなら、ひとたびそこに到達できれば、山をも動かせるからだ。
ことの大小を問わず、仕事での成功、投資での成功、決断での成功など、われわれの身に起こることの多くが、技量、準備、勤勉の結果であるのと同じぐらい、ランダムな要素の結果でもある。つまり、われわれが認識している世界は、その根底をなす人間や状況の直接の表れではない。そうではなく、それは予見できない。あるいは絶え間なく変化するランダムな作用によってぼかされた像だ。能力は問題ではない、と言っているのではない。能力は成功の確立を増す要素の一つである。しかし行動と結果の結びつきは、われわれが願うほど直接的ではない。だから、過去を理解するのは容易ではないし、未来を予測するのもそうだ。どちらについても、表面的な解釈を超えて考えることが有用だ。
近年心理学者たちは、障碍に直面しながら耐える能力は、才能と同じぐらい、成功の重要な要素であることを見出している。専門家がしばしば「10年規則」を、つまり、ほとんどの分野において大いなる成功者になるには少なくとも10年の勤勉、訓練、奮闘が必要であると説くのはそのためだ。
努力と偶然は生来の才能と同じぐらい重要、とするのは、やる気を失わせるようなことに思えるかもしれない。しかし私は励みになると思う。なぜなら、遺伝的要素はわれわれにはコントロールできないことだが、努力の程度はわれわれに委ねられているからだ。また偶然の作用も、何度も試みれば成功の確率を上げられる、という程度までは、われわれにコントロールできるからだ。
長い距離を走ることが貴ばれたのは、絶対に不可欠だったからだ。それはわれわれが生き延びて繁栄し、地球上に広がっていく手段だった。人は食べるために走り、食べられないように走った。連れ合いを見つけて気を引くために走り、彼女と新しい生活をはじめるために遠くへ走った。走ることを愛さないわけにはいかず、さもなければ、生きてほかの何かを愛することもなかっただろう。そして、われわれが愛するほかのあらゆるもの―と同じく、走ることは太古の祖先から遺伝子に組み込まれてきた宿命なのだ。われわれは走るために生まれた。走るからこそ生まれた。誰もが”走る民族”なのであり、それをタラウマラ族は一度も忘れたことがない。
クリストファー・マクドゥーガル
日本放送出版協会 ¥ 2,100 (2010-02-23) |
多くのすばらしいアイディアも、一度に実現しようとすると一気にくだらない製品になってしまう。やりたいことのすべてはなかなかできないものだ。時間、資源、能力、そして優先順位と制限はつきものだ。一つのことでも完璧にすることは難しい。同時に十個のことをうまくやる?そんなことは忘れたほうがいい。
より良いもののためには、愛着あるものをいくつか犠牲にしないといけない。やりたいことを半分にするのだ。中途半端な一つのものより、とてもよくできた半分の大きさのものの方がいいに決まっている。量より質だ。
一度見通しを立てると、すばらしいアイディアのほとんどはそこまですばらしいものではなくなる。もしそれらのアイディアが本当に魅力的なものであれば、後からでもやることができるはずだ。
今、あなたが誰なのかを知る人はいない。それでいい。無名であることは、すばらしいことだ。日陰にいることを幸せに思おう。
この時こそ、世間にあれこれ言われずミスすることに使おう。欠点をつまみ出し、思い立ったアイディアを試してみよう。新しいことに挑戦してみるのだ。誰もあなたを知らないのだから、失敗しても大きな問題ではない。無名であれば、プライドを失うことも自分を失うこともないだろう。
ジェイソン・フリード,デイヴィッド・ハイネマイヤー・ハンソン
早川書房 ¥ 1,575 (2012-01-11) |
完全神話は、ビジネス以外でも僕らの生活を支配している。学校では、すべての問題にただひとつの正解があると生徒に教える。そんな問題を集めて試験を行い、試験のために教え、教えたことをオウム返しにすることを求める。僕らはそれを達成と呼ぶ。そうでなく、実験を促し、常識への挑戦を褒め、失敗から学ぶような学校をつくるべきだ。
情報が人間によって知覚され生み出されるものだとするならば、必ずそこには何らかの意図が介在しているはずです。意図という言葉が適切でなければ、意思や知識、あるいは観点という言葉でもいいでしょう。
その代わりに、歴史的に別個のシステムとして都市を支えてきたシステムの統合に着手すべきだ。燃料・水・空気の供給、エネルギー転換、電気や建物のサービス、そしてモビリティを、一体的なシステムとして制御すべきである。電力市場を作り出すことにより、地域的にバラバラで、時々刻々変化するニーズに効率的に応え、変動価格とリアルタイムのフィードバック・ループによって電力供給を均衡させるべきである。そしてクルマは、こうした市場において敏捷でインテリジェントな買い手兼売り手となるべきである。
この戦略はシステム全体の性能向上を目指すものであって、さまざまな構成要素やサブシステムの個別性能に注目するものではない。この戦略は、どこにでもあるディジタル・ネットワーク型かつ分散型のインテリジェンス(都市の神経システムを形成する)を活用することによって、肌理が細かく反応が早くリアルタイムで制御される都市エネルギー・システムを実現する。
ウィリアム・J. ミッチェル,ローレンス・D. バーンズ,クリストファー・E. ボローニ=バード
東洋経済新報社 ¥ 2,940 (2012-02-10) |