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予想どおりに不合理

わたしたちの行動に影響をおよぼす力(感情、相対性、社会規範など)は行動に多大な影響をおよぼしているのに、わたしたちは自然にその影響力をとんでもなく過小評価したり、まったく無視したりしてしまう。わたしたちが影響されてしまうのは、知識がないからでも、訓練が足りないからでも、意思が弱いからでもない。熟練者でも初心者と同じように、規則正しい予測できる形で何度も繰り返し影響を受ける。その結果である失敗が、そのままわたしたちの生き方、ものごとのやり方になる。失敗もわたしたちの一部なのだ。

わたしたちは、目の錯覚に引っかかるのをどうすることもできないように、心が見せる「決断の錯覚」にころりとだまされてしまう。問題は、視覚や決断の周囲にある状況が、目や耳や、嗅覚、触覚、さらにはその大元締めである脳によってフィルターにかけられていることだ。わたしたちが情報を把握して消化するところには、その情報はわたしたちが生みだした現実の表裏であり、わたしたちはこの入力を決断の基準としている。要するに、わたしたちには自然から与えられた道具しかないため、自然にくだす決断はその道具の性能や精度に制限を受けるのだ。

もうひとつの重要な教訓は、たとえば不合理があたりまえのことであっても、だからどうしようもないというわけではない、ということだ。いつどこでまちがった決断をするおそれがあるかを理解しておけば、もっと慎重になって、決断を見なおすように努力することもできるし、科学技術を使ってこの生まれながらの弱点を克服することもできる。

| 300社会科学 | 22:29 | comments(0) | trackbacks(0) | ka2ya |
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