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文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (上)

イースター島、マンガヴァ島、そしてアナサジと同じように、マヤでも、環境問題と人口問題が戦争と内乱の増加につながった。イースター島とチャコ峡谷と同じように、マヤにおいても、人口が最大値に達したとたん、政治的かつ社会的な崩壊が起こっている。イースター島の農地が沿岸の低地から最終的に耕地にまで拡張され、ミンブレの農地が氾濫原から丘陵地へ拡張されたのと同様、コパンの居住地も、氾濫原からもっと脆弱な斜面へと広げられ、その結果、丘陵地における農業の発展が衰退へと転じたときには、それまでよりおおぜいの人口を維持するための食糧が必要になっていた。イースター島の首長たちがその時々の最大の石像を立てたあげくプカオを載せたように、また、アナサジの支配者層の人間たちが、トルコ石のビーズを二千個つなげたネックレスで身を飾り立てたように、マヤの王たちも、よりみごとな神殿をより分厚い漆喰で塗り固め、お互いに負けまいと懸命になった。その姿は、これみよがしに浪費を重ねる現代アメリカのCEO(最高経営責任者)たちを髣髴させる。これらの不穏な類似点の締めくくりとして、イースター島の首長たちも、マヤの王たちも、現実の重大な脅威を前にしながら、なんら能動的な打開策を講じなかったことを挙げておこう。

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