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    スティーブ・ジョブズ II

    • 2012.10.28 Sunday
    • 23:47

    シンプルなものが良いとなぜ感じるのでしょうか? 我々は、物理的なモノに対し、それが自分の支配下にあると感じる必要があるからです。複雑さを整理し、秩序をもたらせば、人を尊重する製品にできます。シンプルさというのは、見た目だけの問題ではないのです。ミニマリズムでもなければ、ごちゃごちゃしていないということでもありません。複雑さの深層まで掘り進める必要があります。本当にシンプルなものを作るためには、本当に深いところまで掘り下げなければならないのです。たとえば、ネジをなくそうと考えたのでは、えらく入り組んで複雑な製品ができてしまうかもしれません。もっと深い部分でシンプルさを実現すべきなのです。対象のあらゆる面を理解する、それがどう作られるかも理解する。つまり製品の本質を深く理解しなければ、不可欠ではない部分を削ることはできません。

    人生を左右する別れ道を選びとき、一番頼りになるのは、いつかは死ぬ身だと知っていることだと私は思います。ほとんどのことがー周囲の期待、プライド、ばつの悪い思いや失敗の恐怖などーそういうものがすべて、死に直面するとどこかに行ってしまい、本当に大事なことだけが残るからです。自分はいつか死ぬという意識があれば、なにかを失うと心配する落とし穴にはまらずにすむのです。人は脆弱なものです。自分の心に従わない理由などありません。

    ウォルター・アイザックソン
    講談社
    ¥ 1,995
    (2011-11-02)

    十字軍物語〈3〉

    • 2012.02.03 Friday
    • 23:19

    戦争は、人類にとって最大の悪業である。にもかかわらず、人類は、この悪から脱け出すことが出来ないでいる。

    ならば、戦争を、勝った負けたで評価するのではなく、この悪を冒した後にどれだけの歳月の平和がつづいたか、で評価されてもよいのではないか。

    また、平和とは、人類が戦争という悪から脱け出せない以上、未来永劫つづく平和というものもありえず、短期間ではあっても一つ一つの平和を積み重ねていくことでしか、達成されないと考えるほうが現実的ではないだろうか。

    情報とは、その重要性を認識した者しか、正しく伝わらないものであるということである。

    古代ローマの、ユリウス・カエサルも言っている。「人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけでない。多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない」

    情報を活用できるのは、見たくない現実でも直視する人だけなのである。

    人間を、人間らしくすることの一つは、信義にある。言い換えれば、約束したことは守るという姿勢である。

    十字軍物語2

    • 2011.06.11 Saturday
    • 00:26

    人間にとっての野心は、何であろうと、やりたいという意欲である。一方、虚栄心とは、他人から良く思われたいという願望だ。人間ならば誰でも、この両方ともを持っている。二つとも持っていないというのは世を捨てた隠遁者だからここでは除外し、人間性豊かな人間に話をしぼることにする。

    それで問題は、一人の人間の内部での野心と虚栄心のどちらが大きいか、だが、このことよりも重要な問題は、その人間が好機に恵まれたとき、野心で動くか、それとも虚栄心で動くか、のほうなのである。

    人間には、興味をもって行うと上手くいき、関心が薄れているのに行うと上手くいかない、という性向がある。上手くいくからなおのこと関心も強まり、上手くいかないとそれに比例して関心も薄れるという具合だ。

    塩野七生
    新潮社
    ¥ 2,625
    (2011-03-24)

    バルセロナ―地中海都市の歴史と文化

    • 2010.10.27 Wednesday
    • 22:21

    『都市化の一般理論』(1867)の表紙には、「都市を田舎化し、田舎を都市化せよ」と書かれている。セルダは、拡張計画で、都市的な田園、つまり、都市のにぎわいと田園ののどかさを併せ持つまちを実現しようとした。どこの部屋にも陽射しが降り注ぎ、自然の風が吹き抜けるように、建物の高さは街路の幅20mより低く、四階建て16mに抑えられた。また、一街区四辺のうち二辺のみに沿って建物を建てられることとし、建物の奥行きは14m以下に規制されていた。街区の建物以外の場所はオープンな緑地として残されるように計画されていた。そうすれば、子どもは自ら住まう街区内の屋外で走り回り、お年寄りも街路を渡って出かけていかずに緑の中を散策できる楽園が実現する。

    しかし、現在バルセロナの中心をなす格子状市街地を訪れると、緑豊かな田園都市のかけらもない。七階建ての建物が街区の四辺をがっちり固めている。セルダ拡張計画決定直後からすさまじい投機圧力に耐えきれず、規制緩和をし続けた結果である。

    今日の拡張市街地は、セルダの綿密に計画したかたちとは大きくかけ離れている。とはいえ、この拡張地区が現在もなお、150年の歳月を越えてバルセロナの一等地として立派に機能しつづけている事実は、セルダ都市計画がどれほど先見性を備えていたものであったかを示すなによりもの証ではないだろうか。

    現状、格子状に張り巡らされた街路は、一本おきに一方通行で、大量の車を整然とさばいている。セルダは、スペイン初の蒸気機関車が走るのを見て、「機械を動力とする個別輸送手段」が席巻する都市を見通していた。彼は上流階級が馬車に揺られて移動していた時代に、はやくもマイカーの行き交う都市を予測していたのだ。街区を隅切りして交差点を八角形としているが、これはまだ見ぬ自動車が交差点をスムーズに曲がれるようにするためであった。セルダは、本来の専門である道路設計の技術者としても、卓越した先見性を持っていたのである。

    十字軍物語〈1〉

    • 2010.10.20 Wednesday
    • 22:27

    西暦1099年6月7日、十字軍はついに、イェルサレムを遠望する地に到達した。

    諸侯たちが馬から下り、甲冑のたてる金属音の中で、まるで教会の中でも入ったかのように、うやうやしく片ひざをつき、兜を脱いだ。

    騎士たちも馬を降り、それにつづく。

    兵士たちに至っては思わず両ひざをついてしまい、両手をあげて泣き出す者までいた。

    誰もが感動に震え、感涙にむせんでいた。生まれたときからくり返し聴かされてきた聖都イェルサレムが、今や彼らの目の前にある。おりからの夕陽を浴びて、静かにそこにあるのだった。ついに来たのだ、という想いが全員の胸を満たし、それがあふれてくるのを甘美な想いで受けとめていたにちがいない。

    第一次十字軍の戦士たちは、この瞬間、謙虚な巡礼者になりきっていたのである。

    この想いの前では、諸侯と兵士の差はなくなっていた。免罪に釣られて十字軍に参加していた人殺しや盗賊と、初めから神に一生を捧げると誓約した聖職者のちがいもなくなっていた。

    イェルサレムは、この種の想いを人々に感じさせる都市なのである。だが、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教の別なく、同じたぐいの思いを抱かせてしまうところが、一神教間で摩擦を生む原因であるのだった。

    文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (下)

    • 2010.10.07 Thursday
    • 23:15

    人間社会と小さな集団は、いくつかの理由で、破滅的な決断を下してしまうことがある。問題の予見に失敗したり、生じた問題の感知に失敗したり、感知した問題を解決する試みに失敗したり、解決の試みを首尾よく成し遂げることに失敗したりする。

    しかし、社会が常に問題解決に失敗するわけではないことも、また明らかだ。もし本当に失敗続きだったのなら、わたしたちは今ごろ、みんな死に絶えているか、あるいは一万三千年前の石器時代並みの条件下に戻って暮らしているだろう。

    わたしたちは今、接続不能にいたる道を急ぎ足で歩いている。現在の子どもたち、若者たちが生涯を終えるまでのあいだに、世界の環境問題はなんらかの決着を見るだろう。問題は、それが自分たちの選んだ快適な方法による決着か、戦争、大量虐殺、飢餓、疫病、社会の崩壊など、選ばざる不快な方法による決着かということだけだ。これらの苛烈な現象は、人間社会の宿痾のように歴史の中に遍在しているが、その頻度は、環境の劣化、人口増加の圧力、その結果としての貧困や政情不安などの条件下で高くなる。

    文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (上)

    • 2010.09.19 Sunday
    • 13:51

    イースター島、マンガヴァ島、そしてアナサジと同じように、マヤでも、環境問題と人口問題が戦争と内乱の増加につながった。イースター島とチャコ峡谷と同じように、マヤにおいても、人口が最大値に達したとたん、政治的かつ社会的な崩壊が起こっている。イースター島の農地が沿岸の低地から最終的に耕地にまで拡張され、ミンブレの農地が氾濫原から丘陵地へ拡張されたのと同様、コパンの居住地も、氾濫原からもっと脆弱な斜面へと広げられ、その結果、丘陵地における農業の発展が衰退へと転じたときには、それまでよりおおぜいの人口を維持するための食糧が必要になっていた。イースター島の首長たちがその時々の最大の石像を立てたあげくプカオを載せたように、また、アナサジの支配者層の人間たちが、トルコ石のビーズを二千個つなげたネックレスで身を飾り立てたように、マヤの王たちも、よりみごとな神殿をより分厚い漆喰で塗り固め、お互いに負けまいと懸命になった。その姿は、これみよがしに浪費を重ねる現代アメリカのCEO(最高経営責任者)たちを髣髴させる。これらの不穏な類似点の締めくくりとして、イースター島の首長たちも、マヤの王たちも、現実の重大な脅威を前にしながら、なんら能動的な打開策を講じなかったことを挙げておこう。

    絵で見る十字軍物語

    • 2010.08.23 Monday
    • 22:26

    イスラム教徒にとっての聖典であるコーランでは、生涯に少なくとも一度のメッカへの巡礼を、信徒にとっての重要な義務としている。ゆえに、もともとからしてイスラム教徒は、キリスト教徒のイェルサレム巡礼に理解ある態度で接していたのだった。

    しかし、キリスト教もイスラム教も、自分たちの信ずる神以外の神は認めないとする一線は、絶対に譲らない一神教同士である。ひとたびこの一線が強調されすぎると……。

    十字軍とは、一神教徒同士でなければ起りえなかった、宗教を旗印にかかげた戦争なのであった。

    ローマ亡き後の地中海世界 下

    • 2009.04.03 Friday
    • 00:02

    外交では、右手で殴っておいて左手を差し出す、というようなことをよくやる。手を差し出すくらいならば殴らなくてもよかったではないか、と言う人は、善意の人であることは認めるが、外交とは何かはわかっていない、と言うしかない。もちろん、殴らないで済めばそれに越したことはない。だが、殴られてはじめてOKする、という例が多いのも事実であった。

    この時代の人であったマキャアヴィッリは、憎悪されても軽蔑だけはされてはならない、と書いた。また、政治では愛されるよりも恐れられるほうを選ぶべきだ、と書いている。なぜなら人間は、自分を愛してくれる人は簡単に捨てるのに、怖れている相手からは容易に離れられないからである、と言うのだ。個人の間の問題ではなく国と国の間の問題をあつかう外交では、軽視されたり軽蔑されたりすることは実害をもたらすことにつながるゆえに、絶対に避けねばならない最重要事なのであった。

    ローマ亡き後の地中海世界(上)

    • 2009.03.11 Wednesday
    • 00:10

    人間とは、良かれ悪しかれ、現実的なことよりも現実から遠く離れたことのほうに、より胸を熱くするものである。つまり、心がより躍るのだ。中世人の信仰心が高まったからこそ、十字軍は起こったのである。だがその信仰心の向う先は、聖地でなければならなかった。聖地の奪還であったからこそ、あれだけ多くの人々を巻き込んだ、あれほども長くつづいた大衆運動になったのである。拉致された不幸な人々の奪還では、一時的には十字軍であっても、連続した十字軍にはならなかったのだ。そしてこれが、ヨーロッパの歴史では、地中海の海賊という一千年もの間つづく現象が、重要視されること少ない理由ではないかと思っている。

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