人間の心には、よく知られている各種の認知的な欠陥や偏りがあって、これが正確な予測能力を歪めてしまっているのだ。人は、重要そうに思える特異なできごとをあまりに重視しすぎる。
人は何かについてまちがった信念を抱いてしまうと、それにしがみつきがちだ。新しい証拠が出てきても、信念に反するものはつい軽視してしまい、既存の信念を裏付けてくれる証拠だけに注目してしまう。
人間の心には、よく知られている各種の認知的な欠陥や偏りがあって、これが正確な予測能力を歪めてしまっているのだ。人は、重要そうに思える特異なできごとをあまりに重視しすぎる。
人は何かについてまちがった信念を抱いてしまうと、それにしがみつきがちだ。新しい証拠が出てきても、信念に反するものはつい軽視してしまい、既存の信念を裏付けてくれる証拠だけに注目してしまう。
人間は誰でも美しいものを見ると楽しく感じる。脳内ホルモンが分泌されて、脳がリラックスしたり、快感中枢を刺激したりするためかもしれない。美しいものと言っても人さまざまという意見もあるが、かなりの部分は一致するのではないだろうか。ルノアールの絵、ダイヤモンドの輝き、錦色に染まった山の光景、花びらを開こうとするバラ、それらの色調や造形や構成などが人間の感覚によく馴染むためと思われる。審美観はそれなりに人間に共通しているのである。
人間にとっての野心は、何であろうと、やりたいという意欲である。一方、虚栄心とは、他人から良く思われたいという願望だ。人間ならば誰でも、この両方ともを持っている。二つとも持っていないというのは世を捨てた隠遁者だからここでは除外し、人間性豊かな人間に話をしぼることにする。
それで問題は、一人の人間の内部での野心と虚栄心のどちらが大きいか、だが、このことよりも重要な問題は、その人間が好機に恵まれたとき、野心で動くか、それとも虚栄心で動くか、のほうなのである。
人間には、興味をもって行うと上手くいき、関心が薄れているのに行うと上手くいかない、という性向がある。上手くいくからなおのこと関心も強まり、上手くいかないとそれに比例して関心も薄れるという具合だ。
わたしたちの実験から、人間の労力について、次の四つの原則が明らかになった。
|
ダン アリエリー,Dan Ariely
早川書房 ¥ 1,995 (2010-11-25) |
現代生活のあらゆる場面で、人々の集団行動の才能や欲求は、集団管理の複雑性からくる制度構造によって制限されてきた。今まで、皆が望んだすべての組織が誕生したわけではなく。成立が可能な組織だけが生まれてきた。しかし現在では、かつて無報酬、無管理の組織にあった行動の限界はなくなった。自発的に集合した組織につきまとっていた共同作業の困難さというものが減少し、集団が金銭的な動機や管理・監督なしに成し遂げられることが、数・種類とともに増加している。現在の変化を一言で言うなら、集団行動の際に立ちはだかっていた壁が崩れ、我々は自由に新たな組織化の方法を試し、何かに挑戦することが可能になったということだ。
我々が公共の世界について語る時、愛に話が及ぶことは少ない。愛は感傷的でプライベートなものだからだ。しかし、この歴史の転換期に、愛というものは感傷的でもプライベートでもなくなった。愛には半減期もあれば、及ぶ範囲も限られる。今まで我々にとって、そのどちらも小さいものだった。我々は人々を愛するが、愛の寿命と社会的な距離がそれを抑圧してきた。しかし今日の我々は、見知らぬ人のために何かをし、彼らも我々のために何かをしてくれる。こうした行為のためのコストが安くなったため、人々は喜んでそれを行う。そしてその結果はその後もずっと残っていく。ソーシャルツールは愛を再生可能な建築材料にしたのである。人々は互いに気遣い、協力しあい、かっては距離と寿命の縛りのために不可能だったことをやってのける。愛のために大仕事を成し遂げられるのである。
子どもたちには「お友達とおもちゃを仲良く一緒に使いなさい」と口を酸っぱくして言うくせに、当の大人は、「シェア」と言われると何やら構えてしまうのはなぜだろう?道路、公園、学校や、公共スペースは共有しても、その他の部分、たどえば自分の持ち物はゆずらない。社会全体が、「共有」を連想させるコンセプトに懐疑的だ。たとえば、協同組合、共同体、コミューンなど。こうした言葉は、それ自体古臭いうえに、過去の不幸な出来事を思い起こさせる。おそらく、自分らしさやプライバシーや自立性といった、私たちが大切にしている個人の自由が奪われるような気がするからだろう。
この50年とうもの、子供たちは過剰に個人主義を重んじる社会で育ってきたため、生まれつき備わった自分勝手な性質が、同じように生まれつき持っている分かち合いの精神を覆い隠しても不思議ではない。しかし、この傾向は変わりつつあるようだ。過去数年の間に、コラボレーション革命が静かに、しかし力強く起こりはじめ、文化や政治、経済のシステムの中でそれは勢いを増している。私たちは、資源をシェアし、オープンにすることで、個人の利益とコミュニティ全体の利益のバランスを保ちながら、どうやったら価値を創造できるかを、もう一度学び直している。人は、個人の自主性や自分らしさを失くさずとも力を合わせることができる。
|
レイチェル・ボッツマン,ルー・ロジャース
日本放送出版協会 ¥ 1,995 (2010-12-16) |
交通技術者のモデルでは、人間がより「安全」な道でどう行動するかを完全には見通せない。渋滞も同じである。数学的には、ある通りを閉鎖したら、地域の他の通りがその分の交通利用を引き受けることになるというのは、筋が通っている。配管システムで一本のパイプを閉鎖したら、他の並行するパイプがその分の流量を引き受けなければならない。だが、人間はパイプを流れる水よりもずっと複雑な存在である。そして、計算モデルでは、この複雑さを読み切れないのだ。技術者が予想するとおり交通量は増えるかもしれないが、そのこと自体が厄介な通行状況を敬遠する行動にもつながるのである。
人間は一人ひとり力を持っているが、一人ではできないことを達成するためにはともに行動する必要があるということだ。人間はこれまでにも力を合わせ、大河の治水、大都市の建設、知識の集積である図書館の発明、有人宇宙飛行などを成し遂げてきた。そのために協力し合った仲間すべてを知ることさえなく、やり遂げてきた。現代世界の社会的ネットワークの魔法は、私たちと他人をつなぎ、遠い昔に人類が経験したよりもはるかに巨大なスケールで協力する能力を私たちに与えてくれる。だが、より人間に近いレベルで、社会的ネットワークは生活のあらゆる面に影響を与えている。遠くに離れた他人に起きた出来事によって、私たちの生き方、考え方、欲求、病院や死が決定される。私たちは社会的な連鎖反応によって遠隔地の出来事に反応するものの、そうしていると気づかないことも多い。
|
ニコラス・A・クリスタキス,ジェイムズ・H・ファウラー
講談社 ¥ 3,150 (2010-07-22) |
私たちの頭は、空間を把握する不可思議ですばらしい能力を持っている。野や森に住む鳥やハチなどとちがい、人間には空間をつくりあげ、自分たちのニーズに合わせて歪曲し、幾何学的な説明とは別のものとして思い描くことができる。このような空間を考える能力があったからこそ、人間は地球で唯一、本当の自意識を持つ存在として優位な地位に押し上げられたという説は、おそらく正しいのだろう。高度に発達した視覚で複雑な光景を取り込み、位相的なつながりに基づいてそれらを混ぜて不可思議なものをつくることで、私たちは大昔の人間の想像をはるかに超えた空間をつくりだし、組み立てることができるのだ。
しかし私たちが空間の幾何学という衣を脱ぎ捨てることができたのは、人間の頭のつくりだけではない。私たちがエネルギーやテクノロジーを活用する能力は急激に高まり、いまや周囲の物理的環境をほぼ好きなようにつくりあげることができる。道具を使う動物である私たち人間は、独特な空間のとらえかたをする脳を駆使して、物理的空間を超えようとする志向を支え拡大する環境を整えてきた。都市計画から光速コミュニケーション技術まで、あらゆるものが物理的空間を超える私たちの能力を反映し、それを支え、伸ばすように設計されているのだ。
|
コリン・エラード,Colin Ellard
早川書房 ¥ 1,995 (2010-04-22) |
ロングテール時代の6つのテーマ
|
クリス アンダーソン
早川書房 ¥ 1,470 (2009-07) |