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    ずる

    • 2014.03.02 Sunday
    • 20:16

    肝心なのは、どんなものあれ、不正行為をとるに足らないものと片づけるべきではないということだ。初犯はたいていの場合、初めてのことだしだれにも間違いはあるといって、大目に見られることが多い。そうかもしれないが、初めての不正行為は、その後の自分自身や自分の行動に対する見方を形成するうえで、とくに大きな意味をもつことも忘れてはならない。だからこそ、最も阻止すべきは最初の不正行為なのだ。一見無害に思われる、単発の不正行為の数を減らすことこそが重要だ。これを進めていけば、いつかより正直で腐敗の少ない社会が実現するかもしれない。

    わたしたちをとり巻く社会的な力は、二つの方法で作用するように思われる。ごまかしをする人が自分と同じ社会集団に属しているとき、わたしたちはその人を自分と重ね合わせ、ごまかしが社会的により受け入れられやすくなったと感じる。だがごまかしをする人がよそ者だと、自分の不品行を正当化しにくくなり、その不道徳な人物や、その人が属するほかの(ずっと道徳性の低い)外集団から距離を置きたいという願望から距離から、かえって倫理性を高めるのだ。

    より一般的には、わたしたちが自分の行動(ごまかしを含む)の許容範囲をきめるうえで、他人の存在がとても重要だということを、これらの結果は示している。わたしたちは自分と同じ社会集団のだれかが、許容範囲を逸脱した行動をとるのを見ると、それに合わせて自分の道徳的指針を微調整し、彼らの行動を模範としてとり入れるのだろう。その内集団のだれかが、権威のある人物ー親や上司、教師、その他尊敬する人ーであれば、引きずられる可能性はさらに高くなる。

    MAKERS―21世紀の産業革命が始まる

    • 2013.01.27 Sunday
    • 23:07

    デジタル生産は、これまでのもの作りの経済をひっくり返すものだ。大量生産の場合、コストの大半は機械への初期投資で、商品が複雑になればなるほど、また変更が多ければ多いほど、コストも膨らむ。デジタル生産は、 その逆だ。従来のもの作りではコストのかかるものが、無料になる。

    1. 多様性はフリーになる ひとつひとつ違うものを作っても、全部同じものを作るのとコストは変わらない。
    2. 複雑さはフリーになる 手間のかかる小さな部品がたくさんついた、精巧な細工が必要な品物も、3Dプリンタなら、平らなプラスチックの塊と同じコストで作ることができる。コンピュータはただで何でも計算してくれる。
    3. 柔軟性はフリーになる 生産が始まったあとで商品に変更を加えようと思ったら、指示コードを変えるだけでいい。同じ機械でそれができる。

    数世代に一度、製造(マニュファクチャリング)の基本的な手段が根本的に変わる。蒸気、電気、標準化、組み立てライン、リーン生産方式、そしていま、それがロボティクスになった。こうした変化が経営手法から生まれる場合もあるが、本当に力強い変化は新しいツールから生まれる。そして、コンピュータほど強力なツールはない。コンピュータは、近代的な工場を動かすものというより、それ自身が工場となる。どんなものにも無限に応用できる汎用ロボットを組み合わせれば、普遍的な「もの作りの装置(メイキング•マシン)」が生まれる。それは、一マイルの敷地にまたがるテスラの工場から、デスクトップまで、どんな規模でも利用できる。それこそがー最先端のテクノロジーが出現するだけでなく、それが民主化されることがー本当の革命なのだ。

    ワンクリック―ジェフ・ベゾス率いるAmazonの隆盛

    • 2013.01.12 Saturday
    • 19:44

    ベゾスはこのとき「後悔最小化理論」を思いついたらしい。年を取って人生をふり返ったとき、どちらの道を選んだほうが後悔しないのかと考えるのだ。

    「こういう考えで人生を送る人は少なくないのですが、それに『後悔最小化理論』などと名前を付けてしまうオタクはめったにいません。私くらいかもしれませんね」

    結論はこうだった。

    「1994年の半ばでウォールストリートの会社を辞め、ボーナスをもらいそこねても、80歳になったとき、それを後悔することは絶対にないと思ったのです。そういうことがあったと覚えてさえいないかもしれません。逆に、このインターネットというもの、燃えるような想いを抱いているものに身を投じなかった場合、あのときやっておけばよかったと心から後悔する可能性があると思いました。トライして失敗しても、それを後悔することがないのもわかっていました」 決死すれば、善は急げである。

    「問題に遭遇した場合、我々は、あちらかこちらかという考え方を絶対にしません。両方が得られる方法を見つけるのです。できると信じて努力すれば、どのような箱からでも出られる方法を発明できます」

    スティーブ・ジョブズ II

    • 2012.10.28 Sunday
    • 23:47

    シンプルなものが良いとなぜ感じるのでしょうか? 我々は、物理的なモノに対し、それが自分の支配下にあると感じる必要があるからです。複雑さを整理し、秩序をもたらせば、人を尊重する製品にできます。シンプルさというのは、見た目だけの問題ではないのです。ミニマリズムでもなければ、ごちゃごちゃしていないということでもありません。複雑さの深層まで掘り進める必要があります。本当にシンプルなものを作るためには、本当に深いところまで掘り下げなければならないのです。たとえば、ネジをなくそうと考えたのでは、えらく入り組んで複雑な製品ができてしまうかもしれません。もっと深い部分でシンプルさを実現すべきなのです。対象のあらゆる面を理解する、それがどう作られるかも理解する。つまり製品の本質を深く理解しなければ、不可欠ではない部分を削ることはできません。

    人生を左右する別れ道を選びとき、一番頼りになるのは、いつかは死ぬ身だと知っていることだと私は思います。ほとんどのことがー周囲の期待、プライド、ばつの悪い思いや失敗の恐怖などーそういうものがすべて、死に直面するとどこかに行ってしまい、本当に大事なことだけが残るからです。自分はいつか死ぬという意識があれば、なにかを失うと心配する落とし穴にはまらずにすむのです。人は脆弱なものです。自分の心に従わない理由などありません。

    ウォルター・アイザックソン
    講談社
    ¥ 1,995
    (2011-11-02)

    希望のつくり方

    • 2012.10.01 Monday
    • 21:56

    人間は本来、日々の生きる困難のなかで、希望を否応なく持とうとしてしまう、もしくは希望を持たずざるを得ない動物です。特に生きる苦しさにある人々ほど、より良い明日を求めてしまう。それが、人間の業であり、本性なのです。

    希望は、持つべきか、持たざるべきか、ではありません。困難が連続する社会のなかで生き抜くために、どうしても求めてしまうもの。それが、希望なのです。

    挫折と希望は、過去と未来という時間軸上は、正反対に位置するものです。しかしそれらはともに、現在と言葉を通じてつながっています。それが「過去の挫折の意味を自分の言葉で語れる人ほど、未来の希望を語ることができる」という、希望の物語性についての第二の発見なのです。

    スターバックス再生物語 つながりを育む経営

    • 2012.09.07 Friday
    • 22:42

    わたしには光が見えます。すべきことがわかっています。やらなければなりません。やらなければならないのは、問題を解決する答えを見つけることです。大切なことに注力し、不適切なことに時間と金を浪費するのをやめることです。

    大切なのは、わたしたちが直面する問題の解決策を求めることであり、これまで気づかなかったことに関心を持ち、より良く、賢く、効率的な方法を探し、改革と革新を推し進めることです。

    これは会社にとって、ここに集まっているわたしたち一人ひとりにとって、真の試練です。わたしたちが成功できる理由は、過去にわたしたちが成功してきた理由と同じです。株価もマスコミも関係ありません。わたしたちが信じるもの、わたしたちが守ろうとするものがわたしたちを成功に導くのです。

    わたしはこの会社の将来を信じています。なぜなら、皆さんを信じているからです。

    規律ある成長。直感と厳格さのバランス。核となる価値を中心としたイノベーション。現状に満足しない。新しい視点を見つける。特効薬を期待しない。泥にまみれ、手を汚す。相手の立場になって聞き、自分を隠さずに気持ちを通じ合わせる。物語を語る。他人に自分を定義させない。実体験を利用してやる気を起こさせる。価値を大切にする(自分の基礎となる)。説明責任を課すときは成功のツールを与える。困難な選択をする(大事なのはどう実行するかである)。危機においては決断力が大切。迅速に動く。試練のうちに真実を見つけ、過ちに教訓を見つける。目にし、耳にし、行うことに責任をもつ。信じる。

    ハワード・シュルツ,ジョアンヌ・ゴードン
    徳間書店
    ¥ 1,785
    (2011-04-19)

    Think Simple―アップルを生みだす熱狂的哲学

    • 2012.08.10 Friday
    • 05:21

    他人の意見によって、自分の内なる声を溺れさせてはならない。何よりも大切なのは、自分の気持ちや直感に従って行動する勇気を持つことです。

    ある問題を解決しようとして、最初に考えだした解決策がとても複雑だったとしよう。ほとんどの人はそこで考えるのをやめてしまう。だが、そこでやめずに考えつづけて、ダマネギの皮をむくようにムダなものをそぎ落としていくと、とても洗練されたシンプルな解決策にたどり着くことがよくある。

    イノベーションをするときに、ミスをすることがある。最良の手は、すぐにミスを認めて、イノベーションのほかの面をどんどん進めることだ。

    シンプルであることは、複雑であることよりもむずかしい。物事をシンプルにするためには、懸命に努力して思考を明確にしなければならないからだ。だが、それだけの価値はある。なぜなら、ひとたびそこに到達できれば、山をも動かせるからだ。

    たまたま―日常に潜む「偶然」を科学する

    • 2012.07.27 Friday
    • 23:13

    優れた小説の創造(あるいは、美しい宝石、美味しいチョコレートの創造)と、小説が(あるいは、宝石や、クッキーの箱が)何千もの小売店の店頭で山積みになることとのあいだには、ランダムネスと不正確さの巨大な溝が横たわっている。すべての分野の成功者が、ほとんどの例外なく、ある特定の人間集団―けっして諦めない人間集団―の一員であるのはそのためだ。

    ことの大小を問わず、仕事での成功、投資での成功、決断での成功など、われわれの身に起こることの多くが、技量、準備、勤勉の結果であるのと同じぐらい、ランダムな要素の結果でもある。つまり、われわれが認識している世界は、その根底をなす人間や状況の直接の表れではない。そうではなく、それは予見できない。あるいは絶え間なく変化するランダムな作用によってぼかされた像だ。能力は問題ではない、と言っているのではない。能力は成功の確立を増す要素の一つである。しかし行動と結果の結びつきは、われわれが願うほど直接的ではない。だから、過去を理解するのは容易ではないし、未来を予測するのもそうだ。どちらについても、表面的な解釈を超えて考えることが有用だ。

    近年心理学者たちは、障碍に直面しながら耐える能力は、才能と同じぐらい、成功の重要な要素であることを見出している。専門家がしばしば「10年規則」を、つまり、ほとんどの分野において大いなる成功者になるには少なくとも10年の勤勉、訓練、奮闘が必要であると説くのはそのためだ。

    努力と偶然は生来の才能と同じぐらい重要、とするのは、やる気を失わせるようなことに思えるかもしれない。しかし私は励みになると思う。なぜなら、遺伝的要素はわれわれにはコントロールできないことだが、努力の程度はわれわれに委ねられているからだ。また偶然の作用も、何度も試みれば成功の確率を上げられる、という程度までは、われわれにコントロールできるからだ。

    BORN TO RUN 走るために生まれた~ウルトラランナーVS人類最強の”走る民族”

    • 2012.06.27 Wednesday
    • 21:42

    タラウマラ族の本当の秘密はそこにあった。走ることを愛するというのがどんな気持ちなのか、彼らは忘れていない。走ることは、人類最初の芸術、われわれ固有の素晴らしい創造の行為であることをおぼえている。洞窟の壁に絵を描いたり、がらんどうの木でリズムを奏でるはるかまえから、我々は呼吸と心と筋肉を連動させ、原野で体を流れるように推進させる技術を完成させていた。それに、われわれの祖先が最古の洞窟壁画を描いたとき、最初の図案はどんなものだったか? 稲妻が走り、光が交錯する―そう、走る人類だ。

    長い距離を走ることが貴ばれたのは、絶対に不可欠だったからだ。それはわれわれが生き延びて繁栄し、地球上に広がっていく手段だった。人は食べるために走り、食べられないように走った。連れ合いを見つけて気を引くために走り、彼女と新しい生活をはじめるために遠くへ走った。走ることを愛さないわけにはいかず、さもなければ、生きてほかの何かを愛することもなかっただろう。そして、われわれが愛するほかのあらゆるもの―と同じく、走ることは太古の祖先から遺伝子に組み込まれてきた宿命なのだ。われわれは走るために生まれた。走るからこそ生まれた。誰もが”走る民族”なのであり、それをタラウマラ族は一度も忘れたことがない。

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